初心に帰った一夜
昨日は僕が尊敬するベーシスト、松田俊郎さんとのセッションだった。場所は自由が丘マルディグラ、ひさびさの出演だったがお客さんは超満員。僕も今までマルディグラに何回出演したか数えきれないが、昨日がおそらく(僕が出演した中では)最高動員記録だと思う。これも松田さんの人気ゆえだと思う。
ありがたいことに、僕は先輩のベーシストにかわいがられることが多い気がする。サックスフィフスアベニューの柴田良宏さん、Kプロジェクトの平田謙吾さん、「羞恥心」のアレンジャーでもある斎藤文護さん、そして松田さん・・ジャンルもプレイスタイルも皆さん全然違うタイプと言って良いのだが、いろんなジャンルのプレーヤーの皆さんにかわいがっていただき本当に感謝としか言いようがない。まあ昔は相撲の世界で言うところの「かわいがり」を受けた場合もあるのだが(笑)・・今となっては笑い話だ。
そしてそんな素晴らしいベーシスト逹の中でも、松田さんの演奏には、何ともいえない洗練されたグルーヴ感があり、一緒に演奏していてとても心地良いのである。まろやかな中にもしっかりとした骨太のボトムがある。ただそのボトム、あるいはテクニックを決して前面に出し過ぎないところが松田さんのプレイスタイルの「粋」なところである。この辺やはり江戸っ子というか都会っ子なのだろう。(ちなみに松田さんはジャイアンツファン、僕はタイガースファンである。実は今仲良くライブをやっている場合ではないのかもしれないが・・)。
そういう松田さんとのセッションを今回もとても楽しみにしていたのだが、昨日も本当に楽しく演奏できた。もしかしたら見ているお客さんより演奏している我々のほうがはるかに楽しんでいたかもしれない。松田さんのバンド「Jusagroove」のファンならお馴染みだと思うが、彼のフェイバリット・ミュージックであるカーペンターズやギルバート・オサリバン、ダニー・ハザウェイ等70年代ポップスを松田流クロスオーバーサウンドに仕立てた世界はとてもユニークで楽しい。そしてそれだけではなく、こうしたメジャーな曲の中にかなりマニアックなブラジルやジャズの曲、あるいは美空ひばりまでが彼のフェイバリットミュージックとして全く自然に(同列に)混ざっていることに最大の感動を覚える。きっとそこが聴いている人はもちろん演奏している者も飽きさせない理由なのだろう。
ライブ中の松田さんのMCからも彼が本物の「音楽ファン」ということが伝わってきて、こちらも難しい理屈は抜きに自然に笑顔で音楽に入って行くことができた。こういうのは久しぶりの経験だったかもしれない。ギターの長谷川純也さん、Keyの今野勝春さん、ドラムの河崎真澄さんもそういう松田ワールドに影響されて本当に楽しそうに演奏していた。「またこのセッションをぜひやりたい」、と僕以外も皆感じたのではないかと思う。
昨日のライブを終えて、最近自分が「職業音楽家」になりかけ、「音楽ファン」の部分を忘れつつあったことをちょっと反省した。やはり我々ミュージシャンはもともとかなりの「音楽ファン」だった訳で、僕も中高生の頃は毎晩FM放送にかじりついていろいろな音楽を聴きあさっていたものである。そのころは確かにポップスもロックもソウルもクロスオーバーも、イージーリスニングでさえまさに光り輝いているように聴こえたものだ・・。自分は今そんな光り輝くような気持ちで音楽に向かっているだろうか。昨日はそんなことを感じた一夜だった。
2008.9.21
羞恥心「泣かないで」
最近ニュース番組を見ると、本当に暗い気分になることが多い。特に良く聞くのは「格差社会」という言葉である。この言葉は最近の日本を象徴しているキーワードのように感じる。同様によく語られる言葉に「ワーキングプア」「ニート」「ホームレス」等があるが、どれも嫌な言葉だと思う。
ただし、昔から「格差」自体はもちろん存在したのだ。ただ、「格差」という言葉は使っていなかった。僕が子供の頃(1970年前後)であれば、「ドラえもん」のように、スネ夫家みたいなリッチな家もあったし、静香ちゃんの家のように何となく中の上の家もあったり(そういう家の子は確かにバイオリンとか習ったりしていた)、ジャイアンの家のような自営の商売をしている家もあれば、のび太家のような平均的サラリーマンの家もあったわけである。(この設定を見るだけでもつくづくドラえもんというのは良くできたマンガだと感心する・・)。
僕の家は親が教師だったので「ドラえもん」で言えば例の「先生」の家だろうか。もちろん普通の教師の家庭なので経済的にはごく普通だったと思う。
ただし、当時はまだ「分相応」という言葉もあって、多少お金持ちの家もそうでない家も、特に自分の家を裕福だから自慢したり貧しいから卑下したり、ということはあまりなかったと思う。そしてもう一つは「コミュニティ」というものが当時は現在にくらべしっかりと存在していて、それほどお金持ちでなくても、コミュニティの中では十分存在感を発揮している人も多かったのである。当時は自分の家が裕福かどうかは「生まれた環境」「運」みたいな感覚が強く、それほどお金持ちではなくても全てが別に本人だけの責任ではないという意識が強かったと思う。現在のような「能力主義」とか「自己責任」という言葉は当時はあまりなかった気がする。
で、時は流れて21世紀、今の日本は、お金持ちは「能力があるから当然」、貧しい人間は「自己責任だからしょうがない」という社会になりかけているようだ。はっきり言って日本はそれで良いのか・・と思う。僕はアメリカに何度か仕事で行ったことがあるので、向こうの(本物の)「格差社会」がいかにすさまじいものかということを少しは知っている。それに引きかえ日本人は昔からお互いにお互いの足りないところをフォローしあって、全体として「皆が楽しく生きられる」というコミュニティづくりに励んできた民族ではないのだろうか。例えれば落語の「八つぁん」「熊さん」のようにごく平凡な人間や、あるいはちょっと足りないところもある「おバカ」でも楽しく生きられる社会こそがかつての日本人の理想だった気がするのだが・・。
そういうことを最近考えていたのだが、羞恥心のデビューシングル「羞恥心」を聴いたとき、ひさびさに「歌は世につれ・・」という言葉を思い出した(この言葉も最近は使われなくなったが・・)。
この「笑いたきゃ笑うがいい」という鮮烈な歌詞で始まる曲(作詞は島田紳助氏である)は、もちろん彼らのクイズ番組での「おバカキャラ」のイメージを最大に利用しつつ(彼ら自身が本当におバカかどうかは分からない、むしろ逆だろうと思うが・・)、最近の「格差社会」を痛烈に批判したものになっていることは誰もが感じると思う。「金も勇気もなにひとつない」というのは彼ら自身を歌っているように見えて実は我々そのものの姿であり、それでも「力の限り生きていく」しかないと歌う。
そしてサビの「ドンマイドンマイ〜」というところが、我々に対する応援歌になっていて、この歌詞がキャッチーなメロディとアレンジにのって軽快に歌われ、聴くものに強烈なカタルシスを与える。紋切り型の文章で言えば「閉塞的な時代の一服の清涼剤」とでも言おうか。
実は、この曲の編曲を昔からお世話になっている斎藤文護&岩室晶子ご夫妻がやられていて、作曲の高原兄氏もCMの録音で呼んでいただいたりしたことがあるのでこの曲を陰ながら応援していたのだが、なんと想像を超えるすごい大ヒットになった。たぶん本人たちもまわりも、ここまでの大ヒット、大ブームになるとは思っていなかっただろう。ただ、やはり「歌は世につれ」なのだと思う。時代の雰囲気、というものは皆同じように(無意識ではあっても)感じているのだろう。
さて、ここから宣伝。6/25に羞恥心のセカンドシングル「泣かないで」が発売された。今回、僕も録音に加わらせていただいたので、ぜひ聴いてみて欲しい。全体のホーンセクションと間奏のソプラノサックス・ソロを担当しているのだが、間奏のソプラノサックス・ソロはTVのショートバージョンでは聴けないので、ぜひCDを買って聴いていただきたい。ファーストシングル同様、この曲もとてもポップな仕上がりになっていると思う。
ちなみに、発売日の午後CDショップをのぞいてみると、早くも「羞恥心は売り切れました」という状況だった。どうも当分彼らのブームは続くようだ。もちろん僕は彼らとは会ったことはないのだが、ぜひこれからも我らが「八つぁん」「熊さん」の代表選手として活躍して欲しい。
2008.6.26
カウチポテト
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
さて、昨年末より書こう書こうと思いながら諸事情により年を越してしまったのだが、僕が所属するバンド、Sax Fifth Avenue(サックス・フィフス・アベニュー)のアルバム「Couch Potato(カウチポテト)」がついに完成した。正式な発売は3月の予定(発売記念ライブも行う予定)だが、すでに先行発売も行っているので、もう買って聴いていただいた方もいらっしゃると思う。ともかく、自分で言うのもなんだが、かなり良いアルバムが出来たと思っている。
このアルバムだが、メンバーのスケジュールやスタジオの都合で、全8曲をなんと1日で録音してしまった。まあ僕もスタジオの仕事ではサックスソロだけのダビングで1日10曲録音という記録もあるが、サックス5本を含む8人のバンド(しかもバイオリンのゲストも1名)でJAZZのフルアルバムを1日で仕上げた、というのは初めての経験である。まあ、今から考えても「よくできたな・・」と思う。
もちろん機材は最新の録音機器で行ったのだが、録音スタイルとしてはサックス5本、ピアノ、ベース、ドラムが1部屋で、「せーの」で録ってしまうまさにジャズ的なオールドスタイル。まあジャズでは本筋の録音スタイルといえるだろうが、当然このやり方では修正はきかない。「あ、一箇所間違えたのでそこだけやり直させて」とはいかないのである。誰か一人大きなミスをしてしまえば録音はやり直し・・。
まあ、アドリブソロの部分はどうにでもなるし、イマイチでも自分だけの問題である。だがソリなどアンサンブル部分では自分のミスは他の人に迷惑をかけてしまう・・という訳で今回の録音の前はさすがに自分なりに譜面をかなりさらった。自分としてはクラシックのプレーヤーがリサイタルに臨むつもりで録音に臨んだのである(かなりオーバーだが)。
そのおかげか、8曲大きなミスもなく録り終えることができた。アンサンブル部分では僕自身はほとんど「奇跡」に近い出来だったと思う。ほとんどの曲が1テイク、多くても2テイクで終了した。(まあひやひやものだったのは僕だけで、他の人たちはこの程度は余裕なのだろう・・)。
また、自分のソロに関しては、これはもちろん完全なアドリブで全く準備もしていかなかったのだが、これも結構面白い演奏が出来たと思う。特に「チュニジアの夜」のソロは良くも悪くも自分らしい演奏になったと思っている。ぜひこのアルバムは多くの方に聴いていただきたいと思う。
CDの購入、詳しい曲目解説、バンドのプロフィールに関しては、Sax Fifth Avenueの公式ブログにアクセスしていただければ幸いです。
さて、余談だがこのアルバムのタイトルの「カウチポテト」。この言葉の意味はもちろん皆さんご存知だと思う。一般に「カウチ(大きなソファー・・あまり日本では見ないやつ)に座ってポテトチップスをかじりながら1日中テレビを見ている人のこと」と言われているし僕もずっとそう思っていたのだが、正確には「カウチの上にじゃがいものようにごろごろころがって一日中テレビを見ている人」というのが英語的な本来の意味のようである。もちろんカウチの上でゴロゴロしている時、当然ポテトチップスとか食べている訳なので、実質的には同じことではある。そのため現在では英語圏の人間でも、この「ポテト」を「じゃがいも」ではなく「ポテトチップス」のことだと思っている人も多いようだ・・・以上まめ知識でした。
2008.1.20